頼り合える社会への構想

森:今日は慶應義塾大学経済学部の井手英策教授をお迎えしています。少し難しいテーマですが、財政論について理解を深めたいと思います。井手先生は著書のなかで「政府や社会への不信、所得の減少と受益感の乏しさから生み出される『寛容なき社会』こそ、現在の日本の問題の本質」と述べられています。この辺りから伺いたいと思います。

井手:例えば、戦後直ぐであれば、困った人の為にすることは、みんなの為にすることとイコールだったと思います。そうすると、まあ困った人を助けようという話になりますよね。でも今は、経験的に貧しさを分からない人がほとんどになるなか、所得が減っていく状況にあります。そうすると困っている人を助けようと言ったって、みんな自分の暮らしを守ることに必死じゃないですか。昔ならば、助けたり、気を使ったりということがあったのです。でも、今は所得が下がり、貧困が進み、誰かのためにもう何かできませんってなっていると思います。みんなが貧しくなり始めて、一気に逆噴射している感じがします。寛容さを失うとそうなるということです。

みんなの税をみんなのために

森:次に先生ご専門の財政論についてお尋ねします。普通の家計や企業会計では、収入の範囲内で支出を決めましょうと「入るを量って出ずるを制する(量入制出)」を基本的な会計原則にしていると思います。ところが、国家財政では逆に、どれくらいニーズがあるのか、それにどれくらいのお金がかかるのか、という部分を議論して、そのためにこれだけの税金が必要ですと国民の皆様に説明して理解を得ていく。すなわち「出ずるを量って入るを制する(量出制入)」を財政論の原則にしているということですが、この辺りについても伺います。

井手:昔は王様とかが自分勝手に決めて税を取っていた訳ですね。今は民主主義の世ですから、みんなにとって何が必要か考えて、そのためにはお金がかかる、税金をいただきます、という風に仕組みが変わった訳です。そのことが、あまりにも忘れられていると思います。僕たちの家計は給料の範囲内でやっていかないといけない。けれど、国家はその気になれば、必要な税を取ることができるのですよ。これが家計と国家の財政の仕組みの違いです。

求められる政治家の役割

森:よくわかります。それが「財源論から逃げずに、社会の分断を生まないための分配政策をどう打ち出すか」という部分につながりますね。

井手:そうです。ただ増税が嫌だというのだったら、嫌なら嫌で、どうすれば増税しなくても、こんなに良い社会を作ることができるって証明しないといけないと僕は思います。僕らは、政治家は増税を語れないと直ぐに言う。だけど、危機の時代はそういうものではありません。出来ることは全部やらないと日本の未来は持たないのです。だから、政治家の皆さんはもう少し汗をかかないといけないと思います。

森:今後、地方議員による井手先生を囲む勉強会も計画されていると聞いています。私も喰らいついて勉強したいと思います。また学んだことを北九州の皆様にしっかりと伝えていきたいと思います。