森: 今回は小倉南区蒲生にあります蒲生(かもう)八幡神社の髙山定美宮司にお話を伺いたいと思います。まず、神社の歴史について教えてください。
髙山: 壇ノ浦の戦いで平家が敗れますが、源頼朝公の命により海に沈んだ三種の神器を探し出そうとする際、高浜村、今の小倉井筒屋近くの漁師で、当社総代であった岩松与三が、当社に安全祈願をし、海に潜り、見つけ出して頼朝公に献上したという歴史が残っています。その後、戦国時代に大友宗麟の兵火にかかり当社も焼失します。古文書なども無くなりましたが、岩松氏の子孫が高浜に新たに神社を建て、これを規矩(きく)八幡宮と称しました。関ヶ原の合戦の後、細川忠興公が小倉に新たに城を作る際、城の東側開発のため、当社を蒲生に移し、名称も蒲生八幡宮になりました。
森: 社殿も古いようですが、その歴史を教えてください。
髙山: 細川氏の後に小倉に入城した小笠原氏の4代忠総(ただふさ)公によって社殿が建てられました。本殿は旧豊前国では最も古く、豊前づくりと呼ばれる、本殿・幣殿・拝殿の3つの社殿が独立して配置された形も貴重なことから、3年前に北九州市の有形文化財に指定されています。
森: 次に氏子地域を教えて下さい。
髙山: 氏子も大変広く、小倉北区の中心部をはじめ、長浜・末広・藍島と小倉南区の南方・蒲生・長尾(旧祇園町)・高野・徳力・北方・守恒・石田が当社の氏子地域になります。今年の秋の例大祭では、石田と守恒の地区の皆様に神輿を担いていただきました。今後は、如何にして若い人たちにも参加してもらうかが課題です。
森: 5年に1度、神輿担ぎの順番が回ってきますが、今年は守恒の番で私も貴重な経験させて頂きました。今は個人の価値観も多様になっていますが、そういう時代にあって神社が発信していく価値観について、どのようにお考えでしょうか。
髙山: 答えになっていないかもしれませんが、神社の大きな役割は、祭りを通しての地域文化の継承と氏子の皆様の憩いの場であり、心の支えの場であるということです。最近は、定年になられた方々が、子どもの頃に遊んだ思い出を胸によく参拝されるようになりました。そういう方々からは「ここに来るとすがすがしいね、こんな気持ちになったのは本当に久しぶりだね、神様に何かをお願いするためではなく、自分の気持ちが安らぐのがとてもいいね」という声をよく聞くようになりました。また、若い奥様方が、子どもさんを連れて来られます。お宮の森で子どもたちの声が聞こえるのは、小鳥のさえずりと一緒で大変気持ちの良いものです。
森: お宮は文化継承の拠点であり、人が集まるという意味でコミュニティの拠点であるということですね。私たちも神社の近くで生活するなかで、夏祭りや秋祭りがあったり、もう少しすると門松作りがあったり、季節のなかに身近なところにお宮があります。そういう意味で、地域の共有財産と言ってもいいのではないでしょうか。本日はありがとうございました。